2011年4月23日土曜日

4/22(金)第5次支援チーム 無事帰着

昨日、午後8時ごろ、第5次支援チームが無事に横浜に戻ってきました!

4/21(木)第5次支援チームレポート(蛤浜)ツヨシさんより

4月21日、私達は以前第3次チームで訪れた蛤浜避難所で、仙台市付近を移動焼き鳥屋さんをしながら牧師をしているクマさん(熊田さん)と一緒に炊き出しをすることに決めました。

午後1時半ごろ私達は蛤浜に到着、すでにクマさんは到着していて移動焼き鳥店を開いていました。


蛤浜はたくさんのボランティアの方によって少しずつですが掃除されて、以前より少しきれいになったような気がします。。

すると店の方から走って来る子がいます。私を「キノコ」と呼ぶAちゃんです。2週間ぶりの再会です。彼女に会った瞬間「キノコ」と呼ばれたときは本当に嬉しかったです。


さっそく私達はおしるこを準備。準備している間、Aちゃんはヒロミさんと歌を歌ったり、チームで一番若いケイさんと遊んだり大はしゃぎ。
準備している間に、Rくんと一年生になりランドセルを背負ったCちゃんが学校から帰って来ました。


お母さんも私達を見ると嬉しそう。クマさんの移動焼き鳥屋を見た瞬間、「この状況で焼き鳥が食べられるなんて、信じられない!」と言って喜んでいました。
お父さんのマネなのかAちゃんはクマさんに「タイショウ、やきとりもう一本!」と言いながら焼き鳥を楽しんでいます。






前回、ボロボロのサッカーボールでケンジさんと遊んでいたRくんには、ケンジさんからサッカーボールがプレゼントされました。大喜びで、さっそくケイさんとサッカーで遊んでいました。

こうして私達は、焼き鳥、おしるこ、歌、楽しい会話で、楽しい蛤浜の時間を過ごしました。


帰り道、昨日まだ電気が通じていなかった石巻市街の信号に少しずつ明かりが・・・。

2011年4月21日木曜日

4/21(木)第5次支援チーム

第5次支援チームの帰路の車の運転を助けるために、マモルさんとモトヒデさんが横浜を出発しました。

車で仙台に向かうので、救援物資を届けられることになり、急遽物資を募集したところ、たくさんの方がすぐに物資を持ってきてくださいました。本当に感謝です。

4/20(水)第5次支援チームレポート(釜石、牡鹿半島)ツヨシさんより

私達は二つのグループに分かれました。

一つは釜石で森祐理さんと一緒にコンサートをやりながら避難所をまわるグループ。

もう一つが牡鹿半島の荻野浜小学校(避難所)へ焼き鳥屋さんのクマさんと一緒に炊き出しをするグループ。

釜石のグループには国際飢餓対策機構のスタッフ二人、ヒロシさん、Hレイコさん、ヒロミさん、ツヨシで、朝5時半に出発。登米市の教会から約3時間半。道中雪がまだ残っている所もあり、気温は1℃。とても寒いです。

新生釜石教会へ着くと、柳谷牧師が私達を笑顔で迎えてくれました。そしてゴスペルシンガーの森祐理さんスタッフも到着。すぐに私達は避難所になっている釜石のぞみ病院へと向かいました。

そこで第1回目のコンサート。相変わらず心に響きます。たくさんの人たちが涙を流していました。

続いて仙寿院寺と新生釜石教会でコンサート。そのときゴスペルシンガーの大和田広美さんも、柳谷牧師が被災したときに書いた詩を元にして作った歌も披露してくれました。

この詩にはとても感動してしまいました。私はビデオを撮っていたのですが、撮っていたビデオカメラの手がふるえる程感動してしまい涙が・・・。

最後に津波で破壊された民家の前のガレキだらけの地で、森祐理さんのリードで皆で賛美歌を歌いました。







マサコさん
炊き出し時に、実際に津波で家も何もかも流されてしまった人たちと話す機会があり、自分にとってよい経験をしました。被災してから1週間のことは何も覚えていないという話とか、2週間お風呂に入れず、米軍の方達が来てお風呂に入れるようにしてくれた話とか被災しなかったら経験出来ないことの話とかをしてくれました。

今は掃除とか避難している人たちの食事の事しか考えられないけど、あとから悲しみとかが湧き出てくることが考えられる。避難所はみんなで楽しんで食事をする場所ではなく、食べてなんとか生きる場所であるので、早く被災者の生活が改善されるように祈っています。

ヒロミさん
視覚障害を持っている私が、初めて瓦礫の上を自分の足で歩き、より被災地を体感したなかで、さらにその地で讃美しお祈りが出来た事がよかった。登米市の市の職員さんからは、市民のストレス疲れもたまっているような話も聞きました。

Hレイコさん
今日一日、ヒロミさんの付添いをしたのですが、瓦礫で何度かヒロミさんをコケそうにしてしまってごめんなさい。でもヒロミさんのおかげで、柳谷牧師のお話を聞くことができました。牧師も被災者なのに被災者のために働いておられて、その中でヒロミさんと話す事が柳谷牧師の息抜きになっているんだと実感しました。コンサートでは今回は泣かなかったんだけど、コンサートを見て涙を流しているおばあさんを見て、涙が出てしまいました。

Sレイコさん
ほとんどの避難所は物資は足りているが、明日もまた来てほしいという人や避難所がたくさんありました。物資よりも人、話し相手を求めているんだなと感じました。つながりが大切だと思いました。

4/19(火)第5次支援チーム(石巻・炊き出し)ミカさんより

今日は残念ながらの雨でしたが、11時からの配給のために、9時からものすごい長い列ができていました。

私たちはその横で牛丼の炊き出しをしましたが、用意した150食があっという間になくなりました。
なーんだ、とがっかりする声も。。。

でも、そのときに、他の場所で炊き出しができなかったチームから連絡が入り、牛丼を食べられなかった方に、おしるこを食べていただくことができました!





その後、私たちは、八幡町に移動し、第3次チームのときに出会った皆さんに、一軒一軒おしるこを届けに行きました。

「もう会えないかと思ってたんだよ」と嬉しい声。おしるこを夢に見るほど食べたかったそうで、おかわりしてくださいました。

被災しているのにお茶を出し、かろうじて残っている居間にあげてくださいました。限られた物資の中から分けてくださるそのお心、胸がいっぱいになりました。そしてまた再会を約束して今日の一日が終わりました。

2011年4月19日火曜日

4/18(月)第5次支援チームレポート(初日)ツヨシさんより

私達は朝6時ごろに朝食。朝食は白いごはんにふりかけ、国際飢餓対策機構のアサノさんが作ってくれたおいしいトマトスープ。とても豪勢な朝食でした。

朝7時にYWCAを出て、まずサマリタンパースの倉庫へ。倉庫の状況は第1次の時のとても慌ただしい状況と違い、かなり落着いている感じでした。
倉庫で横浜からの物資をおろし、炊き出しの道具を載せて、8時半ごろに宮城県亘理郡山元町の坂元中学校避難所へ出発。

途中通った仙台東部有料道路では、道路の左右の光景が違う。左側は家々が崩れ、車の残骸などもたくさん残っているが、右側は何ともなかったような異様な景色。どうやら高速道路によって津波が止められて、左右の明暗を分けたようだ。

坂元中学校に着くと、国際飢餓対策機構の人たち、地元教会からの災害支援の人たちと一緒に炊き出しの準備。

この日のメニューは山形県産の炒った玄米のお粥に、梅干し、瀬戸内産播磨灘でとれたイカナゴの佃煮、仙台の10年間熟成させた味噌。玄米でビタミンとミネラル類、イカナゴでカルシウム、梅干しでカルシウムとミネラルの吸収を助けるクエン酸を摂取できるという考えだそうです。

お粥ができるまでの間に、ゴスペル歌手の森祐理さんのコンサートがあり、相変わらず心に響き感動のコンサート。












そして同じくゴスペル歌手の大和田広美さんの小コンサートもありました。











感動のコンサートの間にお粥が完成。昼食時にたくさんの被災者の人たちにお粥がふるまわれました。
特に玄米粥とお味噌がグッドマッチングでたくさんの人たちが喜んでいました。

午後4時半無事に炊き出しが終わり、私達は宿泊先の登米市のイエス福音教団宮城教会へ。
夜8時半ごろに到着。大原先生が相変わらずの優しい笑顔で出迎えてくれました。
明日は前回、石巻付近でミカちゃん、エディスさんが個人的につながりを持った被災者たちのために炊き出しをする予定です。

2011年4月18日月曜日

4/17(日)第5次支援チームレポート(出発)ツヨシさんより

私達9名は、午後1時半ごろたくさんの人たちに見送られ、本郷台を出発しました。

途中給油のため立ち寄った国見サービスエリアは、震災発生10日後の第1次チーム時の状況とは違い、お店、自販機もなども全開、復旧がかなり進んでいることを実感しました。私達はサービスエリア内食堂での夕食となりました。



午後8時半ごろにYWCAに到着。10時には就寝。

明日は朝7時半より宮城県亘理郡山元町でのゴスペル歌手森祐理さんのコンサートをお手伝いする予定です。楽しみにしています。

2011年4月17日日曜日

4/17(日)第5次支援チーム出発

本日の13時ごろに、第5次被災地支援チームが仙台に向けて出発しました。

今回は、まず仙台の倉庫に支援物資を届け、明18日に歌手の森祐理さんの慰問コンサートで炊き出しのお手伝いをします。そして、登米市に移動し、19日~21日にかけて牡鹿半島の避難所等で炊き出しをする予定です。22日に横浜に戻ります。

第5次チームのメンバーです。

ヒロシさん(リーダー)、ツヨシさん、ケイさん、エディスさん、S.レイコさん、H.レイコさん、ヒロミさん、ミカさん、マサコさん



2011年4月16日土曜日

4/15(金)第4次支援チーム 無事帰着

4/15(金)23時、第4次支援チームが無事に横浜に帰ってきました。
ご支援を感謝します!

今回の活動の写真です。


(写真:初日)


(4/12 大槌町にて。個人のお宅の掃除をお手伝いしました)


(4/13 大槌町にて。幼稚園のお掃除)

2011年4月15日金曜日

4/15(金)第4次支援チームレポート(釜石 最終日)アキラさんより

記録係のアキラです。

最終日の今日は、泊まらせていただいたお部屋をきれいに掃除し、教会でお昼をいただいて釜石市を後にしました。

(写真:今日の様子)

以下、メンバーひとりひとりの、今回の活動で感じたことなどをアップします。

トモヒロさん
別々のところから集まった10人が、それぞれに与えられた役割を果たして、一つのチームとして奉仕できて良かった。具体的に何をするか以上に、人と人が心でつながることの大切さを教えられた。

トシヤさん
宮古市に行ってみて、少しずつ前進していることを感じた。第1次のときは最終日に釜石市や宮古市に行って、役に立てたという感覚があったが、その最後にある方に「助けて下さい」といわれて自分の無力さを感じた。
今回もできたことは小さいけれども地元の方々やボランティアたちの具体的な前進をみることができた。
わずか五日間だったが、準備や実際に来ることにかなり力を使った。しかし継続していくことが大事だと思う。

アヤコさん
今回の働きを通して出会いが与えられたのがうれしい。特に北海道の教会からボランティアに来ていたミウラさんとの出会い。「ボランティアは何かしなきゃと頑張るけど、被災された方々へ私たちが伝えるのは生きてるだけでよかったよ、いてくれて嬉しいということ-本当はdoingよりbeingなんです」という先生の言葉が心に残った。そして実際にそのように生きておられる先生から溢れ流れる愛に感動した。
チームは、パズルのピースのようにみんな全く
違う!でもその違いが尊いと感じた。そして見事にピースが一つにされるところに素晴らしいと思った。
自分の弱さや足りなさを知る分だけ支えられ助けられている恵みに感謝。

アカリさん
被害の状態を実際に目にして、本当にたくさんの事を考えさせられました。幼稚園でお掃除したときは、壁の汚れを見て子ども達が津波を思い出してほしくないと思い、出来る限り綺麗にしました。そういう小さなことも本当に心から作業できたので嬉しかったです。

カツミさん
五日間疲れたけど楽しかったです。

サトシさん
今回のボランティアでさせてもらった作業は大災害の中にあっては微々たるものかもしれないが、ここで出会った多くの人達が繋がっていくことが復興に向けての大きな力になるのだなと感じた。

アキラさん
第ニ次に続けて釜石を再び訪れることができ、感謝でした。
復興が進んでいることを実感するとともに以前の街の様子が見えてきて前回よりも心が傷みました。
あまりに大きな災害を前に自分にはなにもできないと感じてしまう一方で、小さいけれどもできとこともあります。これからも被災地、とくに釜石のことを心に留めて支援し続けていきたいです。

ケイジさん
今回ボランティアに参加して自分の今後のためになるたくさんのことをいろいろな方に教えてもらいました。助けるために行くのに逆にいろいろなことを教えてもらうなんて自分のレベルの低さを感じました。でもそのなかでいろいろな人達のやさしさ、そして励ましがあったからここまでやってこれたと思います。

マリさん
バスの窓から津波によって流されてしまった光景をみているだけで気持ちが滅入ってしまい、疲労感が増しました。一方では復興へ向けた力強さも感じられ、自分自身が勇気付けられる形となりました。
同僚のアヤコさんを通じて今回のボランティアを知って釜石に来れたことに本当に感謝しています。至らない点も多く、ご迷惑をかけたと思いますが、気持ちよく接してくれ助けられました。ありがとうございました。

コウタロウさん
大阪からJIFHを通して学生ボランティアに参加したコウタロウです。5日間共に奉仕できたことを感謝しています。
初日、元の町並みを想像することが出来ないほどの悲惨な状況を目の当たりにして、心が痛みました。しかし、国境を越えた様々なメンバーが一丸となり奉仕して復興されていくことを共に喜び合えたことは恵みだと思いました。
これから長期的な戦いになると思いますが、自分に出来ることをしていきたいです。

4/14(木)第4次支援チームレポート2(釜石市、新浜町)アキラさんより

記録係のアキラです。

午後、私とタカハマさんは新浜町というところへ向かいました。
第二次のときに偶然孤立した集落があるということを聞いてガスボンベや灯油などを届けたところです。
以前もお会いしたおじさんと話ができました。
地震が起こったときに船で沖にいた方の津波の体験や、以前から新浜町が津波に襲われたら釜石は終わるだろうと言っていたら今回の津波が来てしまったなどの話を伺えました。

新しい市場と道路が完成間近だったのですが津波でさらわれてしまい、船が道を塞いでしまっているところもあります。道路の瓦礫が片付くまでは本当に孤立してしまっていたそうです。情報もなかなか入らず、物資が手に入りにくかったみたいです。

また、被災した方々と家が残っている方々の違いも大きくあるようでした。

他のメンバーは教会にて奉仕しました。
昨日は全体で40名ほどいたボランティアが20名くらいになり比較的静かな夜になりました。

4/14(木)第4次支援チームレポート1(宮古市、山田町)トシヤさんより

副リーダーのトシヤです。

メンバーそれぞれに疲れがでてきていて、今朝は起床が少し遅めでした。
今日は、二人は食事係、残りのメンバーは宮古市に向かいました。

3週間前に第1次のチームが訪れた、宮古市白浜と山田町の調査と、白浜で出会った老夫妻を訪問するためです。

前回このご夫妻を訪問した時、この地域はガス、水道、電気が通っておらず、食料も何もない状況だったので、今回の支援チームで機会が与えられたら是非訪問したいと願っていました。
あれから3週間が経つので、まさかとは思いつつ、ガスコンロや食料、下着など支援物資を積んで出発しました。

白浜に続く道路の脇や河川敷に放置されていた瓦礫の山々はだいぶ片付けられ、電柱が新たに立てられ、信号が復旧している交差点がずいぶん見られました。

とはいっても、まだまだ町の様子から津波の破壊力の凄まじさを見てとれます。同行したチームのメンバーにとっても、様々な事を感じ、考えさせられる機会になったようです。

地図と記憶を頼りに白浜のご夫妻宅にたどり着き、3週間ぶりの訪問を喜んでいただけました。水道、電気が復旧して、ガスもありました。給湯器が無く、取り付けが順番待ちなのが辛いが、食料や物資は十分にあるそうです。安心したし、とても嬉しかったです。

釜石への帰路につき、途中で避難所となっている山田町の市役所へ立ち寄りました。

避難所は3週間前に訪れた時よりもだいぶ落ち着いた雰囲気となっていて、そこで働くボランティアの方に話を聞くと「私の目から見ると、(避難所の)皆さんにだいぶ疲れが出てきているように見える」とのことでした。また、かつては瓦礫と焼け落ちた家屋が並んでいた町もかなり片付けられていました。

復旧のステップも必要とされる支援も、新しい段階に向かっていることを実感できました。

第1次支援チーム ビデオクリップ

第1次支援チームが活動した際のビデオクリップです。

2011年4月14日木曜日

4/13(水)第4次支援チームレポート(釜石3日目)アキラさんより

記録係のあきらです。

今朝は4:40ごろに震度4の余震があり、みんな飛び起きました。幸い津波も被害もありませんでしたが、今回一番の揺れでかなり怖かったです。

今日は、大槌町のおさなご幼稚園に掃除へ行くグループと、個人宅を片付けるグループ、教会に残って活動するグループに分かれて作業しました。

午後からは、食事の支度作業をアカリさんからアヤコさんに交代し、とアカリさんはおさなご幼稚園での支援活動に加わりました。

おさなご幼稚園では仙台から大量に運んだパンの缶詰めを引き渡すことができました。新学期が始まると避難所で暮らす子も登園してくるのでお昼ご飯に使えて助かるとのことでした。

夜の分かち合いではそれぞれが様々な体験をしたことがわかりました。

幼稚園での作業を除くと、今日は特に人数の多い中での作業で、やりにくいことも多少あったようです。

明日は実働最終日となります。午前中は宮古市に向かうメンバーと釜石市で続けて活動するメンバーとに分れる予定です。



(写真:大槌町の様子)

2011年4月13日水曜日

4/12(火)第4次支援チームレポート(釜石)アキラさんより

記録係のあきらです。

7時前にはみな起床し、ミーティングをしました。パンとスープの朝食とって8時半には教会に着きました。

(写真:朝の様子)

早稲田、韓国からきたチームと40名ほどで9時からミーティングを行い、体調と作業の確認をしました。






私たちのチームからはアカリさんが食事と物資の管理にまわり、他の9人のメンバーは大槌町にあるお宅の掃除に向かいました。

男性には力作業を得意とするメンバーが多く、はりきって作業しました。一方でアヤコさんはそのお宅の女性とお話しする機会がもてました。

お昼は教会に帰り、アカリさんを含め食事チームの頑張って作った焼きそば、卵とじゃがいもの炒めものなどをいただきました。

午後は続けて清掃しましたが、私を含めた3人は大槌町のおさなご幼稚園を訪問しました。第2次チームのときに名古屋からの物資を届けたところなので、ニーズと様子を見るためです。

ニーズとしては、子ども用のズボンが意外と少ないこと、絵本や歌の本が流されてしまったので新しいものが欲しいことなどがありました。
4/20から新学期を始めるそうで、明日はスケジュールがうまく組めれば掃除のお手伝いをする予定です。
また前回は物資の輸送のみでせわしなかったのですが、今回は先生方とゆっくり話ができリアルな津波体験を伺うことができました。

5時前には作業を終え、教会に戻りました。
夕飯は韓国チーム中心に作った熱々のキムチチゲをいただきました。

食後1時間ほどはゲームと分かち合いの時間をもちました。
被災地で感じるショックは誰しも少なからずあるので、それを緩和して次の日もスムーズに活動するために必要な時間だと感じました。


2011年4月12日火曜日

第3次支援チーム メンバーより

第3次支援チームが今回の活動で感じたことです。
フミヒコくん:
お汁粉を温めようとして、ツヨシさんが火起こしをしてくれたが、結果としてその火の周りに人が集まってきてまったりする事ができた。今、みんな疲れていて、「余裕」が欲しいと思っている。エンターテイメント的な要素も含め、支援も次の段階に差し掛かっているように思う。

エディスさん:
祐理さんの歌による慰問はタイミングがよかった。今後、コンサートなどもニーズが大きくなるだろう。子供たちのいる避難所では、ドラえもんの漫画やPower for Livingを渡したが、読んでもらえるといいな。ゲームやふでばこなど、子供たちは喜んでくれた。

ツヨシさん:
第1次チームは緊急性が求められ、要求が来たものは何でもやるという感じだったが、今回はある程度ゆとりを必要としているのを感じた。普通の炊き出しでは、カレーとか豚汁だと思うが、牛丼やおしるこは本当に喜ばれて、また打ち解けて話をするきっかけにもなってよかった。こうしたことを続けて、おもしろおかしく、心が開かれるように工夫していけたらと思う。

ミカさん:
チームを離れて別行動をすることが多かったが、いろんな事を学べた。皆からは、チームの素晴らしさを学び、楽しくできてよかった。JIFHの方からは、よい意味で感情を入れすぎないで「ご苦労様です」と誰にでも声をかけている姿から学ばされた。自分たちのできることは限られているけど、必要のあるところに行くことができたと思う。父親がまだ行方不明の女性は淡々としていたが、悲しめない人の代わりに涙を流すというのも大切な役割だと思った。出会った人たちの具体的なニーズを呼びかけていきたい。

アンさん:
恵みは自然なものであり、流れるものだと思った。みんなの心が謙遜であり、活動の中でのそれぞれの自然な姿を通して、心が伝わっていったのだと思う。昨日炊き出しをした場所に車を止めると、その車を見て集まってくれた人がいる。

オオノさん:
チームの皆さんに感謝。日本人の主婦が必要ということで参加したが、足手まといにならないようにと思った。一人ひとりの力が活かされ、これからの日本を支える20~40代のパワーを感じ、希望を見させてもらった。60代の婦人は支えていく側になるように、それをつなぐ役割が自分にはあると思う。私たちは、数日間の活動を終えて帰るが、いつまで続くのか分からない不安の中で生活をしている彼らを残して行くということで気が重い。彼らの隣人であり続けられるかが問われている。

ヨウコさん:
この短い期間の中で、互いのことを知れてよかった。温かい食べ物で心をほぐし、交わるきっかけが与えられ、心を溶かして次のステップに進んでいき、傾聴することができてよかった。今後、この働きを、友達にもアピールして、加わってもらえたらと思う。



4/11(月)第4次支援チームレポート(初日 釜石)アキラさんより

第四次、記録係のあきらです。

今日は横浜から仙台を経由して岩手県釜石市に入りました。

8時前に本郷台を出発し、2時には仙台にあるJIFHの倉庫に着きました。
先週の余震の影響もほとんどなく、順調に移動できました。
倉庫では横浜から運んだ物資を下ろし、釜石に運ぶものだけに荷物を減らしました。

ここで、JIFHのボランティアで来ている大学生のタカハマさんが合流しました。金曜日まで同じチームで行動します。

3時前には仙台を出発し、大船渡を経由して5時半ごろに釜石での拠点である新生釜石教会に到着しました。

仙台を出てから降りだした雨の中、物資を下ろし、他のボランティアの方々10名くらいと温かい食事をいただきました。

韓国からのボランティアも合流し、自己紹介と1日の分かち合いの時間を1時間ほどもちました。

今回も第二次支援チームのときにお世話になったお宅に宿をとることになりました。

明日からの奉仕に備え、早めの就寝です。

2011年4月11日月曜日

4/11(月)第4次支援チーム出発

今日の朝7時半に、第4次支援チームが横浜を出発し、午後に仙台に到着。皆様から寄せられた救援物資を倉庫に届けました。

第4次チームのメンバーは、トモヒロさん(リーダー)、トシヤさん、サトシさん、アキラさん、ケイジさん、カツミさん、アヤコさん、マリさん、アカリさんです。

第4次チームは、第2次チームが行った釜石を中心に活動します。

2011年4月10日日曜日

4/8(金)第3次支援チームレポート(最終日)ケンジさんより

地震の影響で東北道、三陸道が通行止め、停電は続くし水は出ない・・・。
私たちも無事に横浜に帰れるのか、不安になりました。ひょっとしたら新潟方面を回らないと帰れないかも??

でも、とにかくバスに給油する事を大前提として、石巻に行くことをあらためて決意しました。
宮城教会のオオハラ先生が、通行止めになっている北上川を渡る橋、東北道や三陸道を通らずに石巻に行ける道まで先導してくれました。

何とか開いているガソリンスタンドを見つけ、給油に成功。
いつもより渋滞が少なくなっている道を通り、思いのほか石巻にたどり着きました。
目的地まであと一歩の所に来ると、今まで普通に通っていた石ノ森章太郎漫画館近くの橋が通行止めになっていました。

仕方なく別の道を通って目的地には着けましたが、目の前には沈下して水浸しになった道が。

緊張しながら、今までミカちゃんが中心になって接点を持った方々の所を訪問しました。
顔を見て、とりあえず一安心。

昨日の地震は恐ろしく、津波警報が出たために隣の山に避難したが、山崩れがあり土砂の砂埃でたいへんな状況だったとのことです。倒れかかっていた家が、案の定もっと崩れてしまったりしていました。

みんなと仲良くなったスギヤマさんというお爺ちゃんの言葉が心に突き刺さりました。「地震で家と一緒にぺっちゃんこにつぶれちまえば良かったんだ・・・。」別れ際にスギヤマさんのために祈り、みんなでハグしました。

昨日炊き出しをした場所でも、数名と再会。
みんな、もう一度来てくれたと喜んでくださいました。

蛤浜の避難所に行くと、先日であったRくん、Cちゃん、Aちゃんが喜んで近づいて来てくれました。
彼らを抱きしめ、神様が守りを与えくれるように祈りました。

帰途についたときは、三陸道も東北道も私たちの利用する箇所は通れるようになっており、夜中の2時には無事横浜に帰って来る事ができました。

2011年4月9日土曜日

4/7(木)第3次支援チームレポート(石巻)ケンジさんより

一方、ミカちゃんは、国際飢餓対策機構のツルウラさんに運転をお願いして、先日一人一人のニーズを聞いた石巻の方々のところへ物資を届けに行きました。
ひとりひとり手渡しをして、話を聞き、一緒に祈り、帰って来る事ができたようです。
炊き出しグッズを倉庫に返しに行き、宿泊場所の宮城教会に戻って来た時には、もう10時半近くでした。
なんと、教会のオオハラ先生は、手作りパン、ポテトグラタンとサラダを用意して、私たちを出迎えてくださいました!!
伺うと、新鮮な野菜が手に入るようになったのは、この地域でもここ数日の間だとか。
もてなされて、心もお腹もいっぱいになって、なべ等の食器を洗い、明日の準備をしていたその時・・・。

とても強くて長い地震が私たちを直撃したのです。

はじめて経験する震度6。1人で立っている事などとても出来ませんでした。
私たちは守られましたが、被災地で出会った方々の顔が頭に浮かんできました。

1階が津波でボロボロになったお宅の2階に、戻って来て住んでいる方々。
小さな避難所で、やっと生活している方々。

加えて、大規模な停電と高速道路の通行止めの情報を受けて、私たちは祈りました。
そして、明日の予定は変更することに決定。今回のチームは釜石へ足を伸ばすのはやめにして、それよりも石巻で出会った方々を訪問し直す事にしたのです。

4/7(木)第3次支援チームレポート(炊き出し)ケンジさんより

11時過ぎに石巻の鹿妻小学校近くへ到着。もう会えないと思っていたアベさんがすでにそこにおられて、私たちを出迎えてくれました。

アベさんは、亡くなったお姉さん夫婦とその子どもの葬儀が仙台であるため、「2日間バケーションをもらう」と言っていたのです。しかし、出発前に、自分がアレンジしたその場所が気になって、顔を出し、引き継いでくれました。

支援物資をその場にならべ、いざ炊き出しを開始!
・・・と思いきや、そこでハプニング。

なんと、先日やっと購入したガス管を滞在場所に忘れて来てしまったのです。前日炊き出しをした後に、段ボール箱に片付けたのが、他の段ボールと一緒になってしまい、不要なものだと勘違いして置いて来てしまったのです。

ガス管がなければ、まったく調理出来ません。そこで、場所を提供してくださったマエダさんに相談。近所の何軒かをまわって自宅がプロパンだという2つのお宅からガス管とガスコンロを貸して頂き、何とか炊き出し開始にこぎ着けることができました。

たくさんの方々が集まってきました。とりあえず、コンロが足りないので「おしるこ」は後回し。
しかし、真っ先にそこに来てくれたオジさんは、その「おしるこ」が楽しみでずっとそこに座って待っておられました。

そこで、ツヨシさんが持って来た炭に火起こしをしてくれました。結局その後、もう一つコンロを使用可能に出来たのですが、このたき火の周りにオジさんたちが座り込み、まったりといい雰囲気で交わる場が作れました。

そこに集まって来た婦人が、私たちに教えてくれました。
「そこの通りを一本隔てた向こう側に行くと、状況はもっとひどい。この場所でやってくれて感謝だけれども、次の機会にはぜひあっち側に行ってあげてください。こんな温かいものを出してくれたら、喜ぶと思います。」

それを聞いて、みんなの中にどうしてもそちらに移りたいという思いが与えられました。ツヨシさんと私でその地域の調査に出かけると、確かにひどい状況。特に海水が腐ったような特に鼻をつく嫌な匂いの中、ここにも一階部分がめちゃめちゃになった住居の2階に住んでいる方々が。

そして、その通りをもっと進むと状況はさらにひどくなり、住めないけれど避難所から昼の間片付けに来ておられる方々など。

場所を探して、ファミリーマートの駐車場で炊き出しをすることに決定。
移動して来ると、群がるように人が集まってきました。

特に、肉・野菜をつかった温かい食事に飢えている方々がたくさんいました。
こういうものが食べたかったと、おしるこを喜んでくださる方々がたくさんいました。

メンバーたち一人一人が、丁寧に集まって来られた方々の話を聞きました。
ある人がいいました。
「あなたたちは、強制されて来ているのではないですね。見ていると分かるんです。心のこもった、温かいものが伝わってきます。」
神様が、私たちを通して、単なる食べ物以上のものを一人一人に届けてくださっているのを感じました。

2011年4月8日金曜日

4/8(金)第3次支援チーム

第3次支援チームは、昨日・今日と、石巻、女川町中心に炊き出しや物資の配給をしました。

昨夜の大きな余震のときには登米市にいて、みんな無事でしたが、地震は凄まじかったそうです。修復していたライフラインもまた止まってしまったそうです。

先ほど、チームは仙台を出発しました。東北自動車道は通行止めなどの影響はない模様です。
順調であれば、今夜午前2時ごろに横浜に戻りつく予定です。

2011年4月7日木曜日

4/6(水)第3次支援チームレポート(3日目感想 )ケンジさんより

エディスさん:
昨日は被災地の写真をいっぱい撮ったが、今日はいっぱい泣いた。

オオノさん:
来てみないと分からない事がたくさんあった。横浜出身のおじさんが「娘はこちらに来いと呼んでくれているが、こんな中一人では帰れない」という声が印象的だった。草の根の取り組みが必要。メンバーたちの、いろいろな方々への接し方が素晴らしかった。互いに学ばされる。

ヨウコさん:
最後に行った避難所は、ガレキの上に畳を並べて通路にし、唯一のその道を通って出入りしている。そんな中での暮らしの様子を見て胸が締め付けられるような思いだった。出会ったAちゃんの笑顔に心がとらえられた。お母さんがないという彼女を、連れて帰ってあげたい思いだった。

ツヨシさん:
大きな所にはメディアも入り込み、物資も十分に届く。でも、小さな所、孤立している所はそうではない。そう考えると、やっぱり第一陣で立ち寄ったおばあちゃんの所がどうなっているか、とても気になる。

ミカさん:
名古屋から震災の直後にボランティアで来たという、大工の棟梁さんは、牛肉4キロも持ってこちらに来たのだという。その方の姿に感動した。また、被災されたおばさんは、北海道などいろんな場所を点々とつつ、行く先々でいくつもの震災を経験したとの事。この二人に、励ましになるようなみことばのカードを渡した。

アンさん:
私たちのチームは、本当に神様が遣わしてくださったチームで、必要な方々との出会いも与えて下さっていると思う。

フミヒコくん:
アベさんの言う「草の根活動」の必要性を強く感じた。

4/4(月)第3次支援チームレポート(感想 初日)ケンジさんより

ミカさん:
ユリさんの歌のあと、被災者の方と話ができ、一緒に泣く事ができて良かった。話を聞いて泣くだけではあったけど、意味のあることだと思った。

アンさん:
韓国人はストレートに感情を表に出す事ができる人が多いけど、日本人はそうではない。ユリさんの歌を聴きながら、もっと内側の声を出してほしいと思って祈っていたら、声をあげて泣いている方がいて、よかった。そのあと、その方のところに言ったら、涙を流して話を聞いてくれてありがとうと言ってくれつつ、私よりも大変な思いをしているあのおばあちゃんの所へ行って話を聞いてやって下さいと言われ、日本人の心に感動した。

エディスさん:
ユリさんの歌の間、1回もそれを見ないで反対側を向いている子供が一人いたのに気付いた。内側にこもってしまっている姿。どうしたら、この子の内面を引き出してあげることができるんだろうと考えさせられた。

フミヒコくん:
初日でどう動いていいか分からず、能動的に動けなかった。明日からはもっと直接的に動いて行きたい。

ツヨシさん:
かなり復旧してきている。車もガラスも直ってきている。これからもっと復旧していくだろうという安心感。お年寄りと話した時、自分が思っていたよりも落ち込まずに頑張っている姿を見られて、励まされた。

オオノさん:
今までは涙も出なかったというおばあちゃん。今日、歌声を聴いて初めて涙が出たと言っていた。今後、いよいよ精神的なケアの時期にさしかかっている。これから、本当に助けとなる場が必要となっていく。一緒に泣いて、名前を伺ったので、今後も祈っていきたい。

ヨウコさん:
傾聴することで、いろいろな痛みを吐き出してもらい、自分が受け皿となることができて良かった。



4/6(水)第3次支援チームレポート(蛤浜避難所)ケンジさんより

<蛤浜避難所>
帰り際、となりの避難所を通り過ぎたのですが、みんな直感的に「ここに必要がある」と感じて20mほどバックしました。
そこで、避難所を訪問してみると、やはり大きなニーズが。

マイクロバスの中に積んである物資を運びこみ、表で遊んでいた子供たちと仲良くなりました。

サッカーボールで遊んでいたRくん、お母さんのいないAちゃん、1年生になったばかりのCちゃん。


子供たちの笑顔は、私達の心も溶かしました。

そこで、Aちゃんに、ツヨシさんは「キノコ」、わたしは「タケノコ」、フミヒコ君は「松ぼっくり」と名前をつけられてしまいました。

Rくんは、さんざん一緒にサッカーで遊んだあと、10リットルも入った灯油缶をガレキでできた長い道を一生懸命運ぶ手伝いをしてくれました。みんなにほめられて、ちょっと誇らしげにしていました。
Aちゃんは、私達ひとりひとりに、大切にしているシールをくれました。

ほんの短い時間でしたが、子供たちは私達との別れを惜しんでくれました。

<宿泊場で>
夜、みんなで話し合って、滞在をもう一日延長することに決めました。
第一陣、二陣と訪問した、釜石の方面にも足を伸ばしたいという思いがあったからです。

ミーティング後、遅くまで明日の食材を準備しています。

また詳しく書ければと思いますが、メンバー一人一人は本当に素晴らしく、また一人一人の特技がうまく合わさった素晴らしいチームに成長しています!